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2007.8.1

プローブとは何か? / 東京大学 羽藤英二


私が代表をやらせていただいているプローブ研究会は、2003年から研究活動をスタートしていますが、この研究会の出発点というか、プローブパーソン技術のルーツは、1998年に愛媛大学を中心とする研究グループによって行われていたPHSの電界強度の減衰特性を利用した長期間にわたる個人の交通行動の動態観測プロジェクトです。

当時は、位置計測システムをリーモート処理するためのスクリプトがうまく起動せず、私もバッチ処理をしながら2週間ほどモニター前でシステムを監視していましたが、見も知らぬ20人余りの人々の日常生活が離れた場所に居ても即座にわかることにたいへん興奮したのを覚えています。

某関西の高速道路会社さんのサポートを得て行われたこのプロジェクトでは、路側の検知器を基本にしたオイラー型の交通管制システムを、ラグランジュ型のポータブルで高精度な交通計画・管制システムに置き換えることを目指していました。

このプロジェクトは、おそらく当時としては世界でも初のプローブパーソンモニタリングの試みであったのではないかと思います。今殆どのプローブシステムで用いられているルートマッチングや移動/滞在判別のオリジナル・アルゴリズムがここから生まれています。

しかし残念なことに、リアルタイムな交通計画のための詳細な移動-活動データの収集と交通情報配信の実現は技術的には可能でしたが、サービスとしてうまく立ち上げることはできませんでした。理由は、通信コストが高すぎたこと、既に投資が行われている路側の検知器により得られる交通情報の精度が十分高かったことにあります。既に存在する高度なシステムをリプレイスする積極的な理由を、おもしろいからいいじゃん、ということ以外に見出せなかったあたりでプロジェクトとしては難しかったのかもしれません(自戒)。

このプロジェクトの後、自走協のプロジェクトやインターネットITSのプロジェクトが次々と実施され、車両情報をDopa網を利用した大規模なプローブカーで収集するシステムが実装されていくことになります。かなりの額の予算が投入され、当初は通信費でキャリアが儲ける一方だとタクシー会社などから批判も多かったサービスですが、現在では、自動車会社や電機メーカーによるプローブ情報サービスも立ち上がっています。

これに対して、プローブパーソンの技術開発では、先に述べたプローブカーではかなり大きな予算が投入されていたようでしたので、なにか他に安くできるおもしろいことはないか思ったのが直接的な動機となっています。当時、明石の花火大会の将棋倒しの事故があって、ああいう事故をなんとかできないかと思いたち、少ないサンプルから全体の状況を推定するクローニングアルゴリズムを開発しました。ワールドカップの観客の混雑予測情報配信技術を実装し、当時はまだ位置計測のインフラが十分ではなかったこともあって、フーリガン対策で監視の目も厳しかった札幌ドームにパワーアンテナを設置していたところ、不審者として連行されそうになりながら、なんとか雛形となる技術を開発することができました。

当時から、ITSの市場規模は数兆円とも数十兆円とも言われていたわけですが、今となってみると、プローブカーを利用した道路交通情報サービスが爆発的に普及しているかというとそういうわけでもありませんし、ETCが普及したとはいえ、自動運転に関する技術の普及などもなかなか苦戦しています。このため、当初喧伝されていた「ITSバラ色論」が誤りだったと言い出す人が後をたたず、挙句の果てには「ITSを疑う」などという冗談のようなタイトルのブログがたちあがる始末です。交通情報提供の世界で、現在VICSで行われているもの以上のものが果たして必要なのかということが、今問われています。

このような問いかけに対する回答は、「ITSとはIntelligent Transport Systemsである」ということに尽きるのではないでしょうか。クルマは交通システムの知能化の一部であって、人が本当にほしい情報は「精度の高いクルマの所要時間情報」だけではないということです。ITSの本来の目的は、都市におけるモビリティを進化させ、移動の本源的な欲求を究極まで高めることにあると私は考えています。単なる自動車交通の問題解決型技術としてのITS、そしてそのキーテクノロジーとしてのプローブ技術を捉えてしまうと、ビジネスとして成立することが難しいし、なにより本来のITSの価値を狭い範囲に閉じ込めてしまうような気がします。

ネットの世界でWeb2.0という技術が注目されているようです(だいたいこういういかがわしい言葉はプログラム一つ書いたことのない技術者でもなんでもない人が喧伝しているようですが)。Web2.0をネットで調べる限りでは、膨大なデータベースを利用して個人ごとにカスタマイズしたサービスを提供すること、あとはMMO(Massively Multiplayer Online)やCGM(Consumer Generated Media)といった概念を取り入れているかどうかが、Web1.0とWeb2.0 の境目になるようです。

プローブパーソンサービスの基本となるのは、ウエブダイアリーというブログのように参加者が自らにライフログをコメントしそれを記録するサービスと、複数のセンサー情報から行動文脈を自動推計する技術を組み合わせたものです。またDBにストックされる情報をもとに、個別にカスタマイズした交通予報を配信したり、検索エンジン、時空間リマインダーやシンククライアントも備えているという意味では、プローブパーソンこそが、Web2.0的といえなくもありません。

しかしネット上で何らかの利用者サービスを提供していれば、こんなことは誰であっても当たり前に考えていることですし、いまさら特別なこととは思えません。でも、なぜかこうしたことはITSというよりもプローブカーの世界では難しいように見えます。「クルマの所要時間情報」だけをプライバシーに留意し、ユーザーから高い利用料金をとって提供するサービスはWeb2.0的なサービスと比べいささか堅苦しいし、クルマそのものの売り上げがドンドン落ちている現状の中、携帯代や飲み会で精一杯な一般ユーザーがそんなものにお金を払うとは思えません。

プローブやGISの世界で言われるAPIの標準化ですが、これも難しいのではないかと思っています。GoogleなどでもAPIは確かに標準化され公開されていますが、あくまで顔見世程度の公開で、本格的なサービスを展開し始めたとたんに、APIの利用を止められたらお終いです。こんなのやりましたよ的な学生の卒業研究なら問題ありませんが、データこそ命というビジネスの分野で標準化というのは、すこしムリがあるように思います。

ここまで考えてくると、もしもプローブ情報に活路があるとすれば、BtoGや BtoBの分野しかないのではないかということになってきます。特に安全・防犯、物流は情報価値が著しく高い分野です。この分野では徹底した顧客サービスが重視されるため、精度の高い交通情報を有料で提供する。あるいは分析した上でコンサルタンティングを行うといったニーズは高いでしょう。

しかし一方で、ビジネスになるところが発展するのは当たり前としても、ユーザーの立場にたてば、精度の高いプローブ情報サービスが欲しいという本音もあるでしょう。しかし大多数のネットの世界に慣れきった人々は「無料で」と必ず思うはずです。公共性の高い交通情報なのですから、より精度の高いプローブ情報サービスのためのデータインフラを「何らかの方法」で確保し、無料で提供することにはなるほど筋が通っている気がします。しかし、現状は複数のプレーヤーが互いに疑心暗鬼になっており、ほぼ間違いなく囚人のジレンマ状態ですので、第三者によって、こうした思い込みの罠をとくための調整が必要だと思います。

ところで、Web2.0企業を宣言しているGoogleのビジネスモデルですが、そんなにスゴイ技術があるかというときわめて微妙です。ページのオーソリティを決めるアルゴリズムも今となってはありきたりなものですし、今はどちらかといえば、ものすごい数のDBの管理をやっている会社であって、重要性の高い技術は、膨大なDBサーバーの電源の確保などにだんだん移ってきているというのは有名な話です。

プローブパーソン技術についても、この研究会の中で開発している技術がすべてではありませんし、もっと別の技術もいろいろ出てくると思います。以前は、マップマッチングなどのアルゴリズムの高速化が重要でしたが、今はどちらかといえば、三人称のナビゲーションや検索ライブラリアン、膨大なデータを正規化するためのインデックスファブリックスやデータマイニングといった今までやられてこなかった技術開発が、交通環境通貨などのスマートモビリティネットワークやマーケティング・広告、健康管理や交通まちづくりなどへの適用を考えれば、プローブパーソンの世界でも重要になってきています。

プローブ研究会は2003年に愛媛大学で細々と15名程度の国内の研究者を中心に「都市空間上における移動−活動データの長期モニタリング」と題してスタートしています。今思えば愛媛によくも15名も集まってくれたと思っていますが、技術が次にどっちの方向に行くのかというのは、(本音をいえば)実装している人間にしかわからないところもあるのではないかと思います。

「世界のすべてをGoogleのDBに」という標語のような話があって、たとえば、Googleを使っていれば利用者の好みもわかるし、PCを使っていた時間もわかれば健康管理だってできる。だからすごいんだというわけです。でも、そういう技術はGoogleにはないような気がします。だってそういうリアルなデータはキーボードからは絶対入手不可能だからです。

プローブパーソンとは何かと聞かれれば、「実際の都市空間において人の意識や行動を記録する総合技術である」と答えます。それ以上でもそれ以下でもありません。そしてそれこそが実に大切なプローブパーソンという技術の本質なのです。今後、ネットの世界でも現実世界においても根本的な役割を果たす社会技術になってくるような気がします。

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